先日、河北新報に「城下町最後の掘割後ピンチ」と大きくゴシック体で書かれていた。場所が、社宅から1~2分の東北大学歯学部の敷地で道路に面したところなので、クリーニングを取りに行ったついでに覗いて見た。

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最初はそれと気づかずに一度通り過ぎてしまった。持ち合わせた携帯カメラで撮影していたら通りかかった女子高生が、「このおっさん何しているんだろう」という表情を浮かべ通り過ぎていった。そんな自己主張のない場所なのだが、1600年代の藩政時代から、私が生まれた昭和32(1957年)年まで城下町仙台の暮らしを支えてきた四谷用水の貴重な遺構。

しかし残念ながら大学の施設整備で近く撤去される計画があるらしい。市民からは「用水は仙台の原点、永久保存を」と論議が起きている。

インターネットでは・・・かつて仙台は、原野か、または低湿地。400年前伊達政宗が仙台に城を築き城下町をつくる計画を立てた際、段丘で高台になっていた仙台に広瀬川の上流から水流を導入し、城下にくまなく用水を貫流させ、井戸水だけでは足りなくなった生活水を確保するために考案されたとある。

そこから地下に滲みこんだ水が文字通り縁の下の力持ちとして「杜の都」形成に貢献したともある。そんな偉業の四谷用水なので歴史遺産として残す声が出てきても不思議ではない。

ただ、もう役割を終え、これだけ人の目の前にあっても気付かれずに、廃溝然としている風情となった今、永久保存され人目にさらされ続けるよりも、そっとこのまま時代の波に流され消えていきたいと古びた石垣が願っているのではとふと思ってしまった。