変わることなく続く、月の満ち欠け、
朝が来て、夜がくる。
一年前の落葉も、
360日前後に、また、落葉する。
この樹木の中に、余程正確な時計でもあるものか。
そんな圧倒的な大自然に
暗闇をなくし、遺伝子を操作し、
知恵者ぶる人間。どれだけ、自然が、生物が解明されたのだろうか。
知識のあるものは、証明されていないものを持ち出す人間を馬鹿にする。
昔から、繰り返し、その当時の常識は打ち砕かれているのに、
同じ事が続いている。
休日出勤を済ませ、テクテクと歩いて帰る。
途中、芭蕉の辻による。
松尾芭蕉の芭蕉ではなく、伊達政宗公に使えた忍の名前とのこと。
藩政時代は、ここで四ツ谷用水がクロスし、
上に板をはり、市が開かれ、人々で賑わった。
モニュメントの青銅に、用水が刻まれている。
お武家も、ここを通り、お茶を買いにいったりしていたそうだ(お茶屋の女主人曰く)。
空襲で焼け野原になるまで、
ここは、東北最大の繁華街だった。
今は、中心も移り、夕方5時ともなれば、ひっそりしている。
昨日みた、仙台100年史のここの焼跡の映像が甦った。
ここも、火の海だった。
横糸のその時の些事に振り回され、
縦糸の、受けついで行くべきものが、
風化していく。人は、見たもの、知っている事だけで
その時の自分を正当化していきやすいのかもしれない。
血の歴史、悲惨な事は数限りなくあったのだろうが、
それを持ち出すのではなく、
先祖の経験を忘れないでこれからを生きていければ。
休みの間に、冷蔵庫を掃除した。
全部引き出して洗ったのは、この単身6年間で初めて。
結局、中には、ミネラルウォーターが数本残っただけ。
ほとんど外食。でも、血液検査はいつもオール100点。
血は綺麗だ。ニコチンやアルコールの分解毒までは分からないが。
無機的な冷蔵室に、殺風景な心境が重なる。
一日、事務所で一人パソコン打つのは、ちょっと
孤独かな。
言っているそばから、日常の些事で、
心境が流されていく。
縦糸は、孤独も一緒に紡がれて
強く長くなるのかもしれない。
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