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避難所で、携帯からブログを更新したつもりでいたら、記事ないので、

再度、書き込みます。



その瞬間、1週間前は、一人だけ冷静でいたのに、

「でかいぞ!」と叫んで、机の下に。

1分30秒以上続く、あとで分かったが、3つの地震、

途中で、数えるのをやめた。

あちこちで、棚が倒れ、女子社員達が泣き出した。

一人が倒れる棚を抑えに、

引き出しが飛び出す、机の上の書類がバラバラ、

7階はよく揺れる、やっとおさまる。

全員、無事を確認し、駐車場へ降りる事に。

もうすぐ来るかなと、1週間前の地震で、対策マニュアルを机上においていたので、

それを探し出し、災害用ラジオ、ペンシルケース、メモ掲示用にA4の紙を束で、

外は寒い、夕方は雪のはず、防寒具をはおる、

非常時持ち出し袋、ヘルメットをもって、

最後に退出しながら、パチリ、さすがに手ブレ、

駐車場で、ラジオと、ワンセグで、情報収集、

大津波警報?、津波警報のうえに、こんなものもあるのか、

6メートル超、3;40に仙台港到達、ここまで、10キロ、

たしか、スマトラの時は、内陸部20キロまで、船がながされていた、

ワンセグでは、仙台駅前の映像、ここまでくるなら、ビルの3階以上にいないと危険だ、

仙台駅まで、歩いて10分、映像で確認できてから、かけあがっても間に合う、

駅とここの高低差は、四ツ谷用水の本では、たしか10メートル、なんとかなるだろう、

同じ10キロ内陸の若林区役所付近では甚大な被害がある事を、夜中のNHKで知る事に、

ラジオからの情報をメモしながら、全員の無事を確認すると、

非常時対策マニュアルでは、

出社できるようになるまで自宅待機となっていたが

このまま帰すと、2次災害に巻き込まれる事に、

女子社員たちは、家族が心配で帰るという、

全体に指示を出す態勢になっていない、

バラバラと帰る社員が、

引きとめた社員たちは1階に、

「生き残る判断、生き残れない行動」

最近読んだ本のタイトルが頭に浮かぶ、

津波到着時間が近づく、

塩竃方面には知り合いが多い、とっさに、すぐのメールを入れた、

電話もメールも通じにくい、

その中の返信の一つが、ジャスコの避難中、とあったが、

その時は、無事を確認できて安心してしまったが、

その着信時刻は津波到着時間、その後、2階建のジャスコは壊滅したと何人からも聞き、

音信不通が続く、ダメだったのかと、連絡が取れる3日間は、絶望感が仕事のエネルギーを奪う。

2階に幹部が集まり、管内の安否確認を始める、

ここから、帰れない社員もいる、毛布はない、雪が猛烈に降り始めた、

営業の課長と、県庁で何か配布が始まったときき、歩いて5分ぐらいの庁舎にいく、

2階食堂が避難所として開放されると、コンビニもある、

なぜか、自衛隊もいた、隣は県警本部が同じ敷地内にある、
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ここに皆を呼んでくる事にした、ATMがあったので、当面のお金を引き出し、

もっているカードの残高確認をプリントした、

皆をよんで、食堂最前列で、自家発電なので、大型画面で、NHKを一晩中みる事に、
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県庁の人に無理を頼み、非常時対応マニュアルを幹部分だけコピーしてもらい、

とんでもない事に、日本中がなっていく様を明け方までみながら、

目を通してもらった。

ここは、掲示板に、色んな情報が張り出される、新聞も配布される。

情報量が判断の正確さや、行動の質の差に繋がる、

暖房もあり、水道も貯水してあり使える。

ここに、暫くいる事にして、

翌日、寝袋をとりに社宅まで戻った、

それから、3日間、ここで過ごし、

後は、会社で、もう一人と、寝泊まりし、大きな余震の歳の対応に備えた

1週間目を迎えた朝、自宅に戻った。

玄米、塩を数日分小分けし、放射能対策で、警視庁用の高機能jフィルター付防毒マスク(頭から、透明ビニールを被るようなもの、サリン事件時に使用開始、たしか、放射能発生時にも着用する旨、説明書にかいてあった)、それと雨具を持ち出した。

「最悪に備え、最高を望む」

いつものポリシー通りに。

12月以降、安全装置が壊れた石油ストーブ代わりに

アーミー防寒具も身につける、これで、

この真冬の時期、どこで、寝泊まりしても、生命に危険はない。


9.11、3.11他にも当時、11並べが流行り、大惨事に意味を求めたり、

マヤ歴が終る2012年にむけ、

宇宙の禊、アセンションの開始や、地球がフォトンベルトという大電磁波の中を通過するとか、

鳥インフルエンザの遺伝子変異が後数個で、人から人に感染しだすとか


・・・まあ、そんな事より、

無くなった数万人の人達の命を無駄にしないためにも、

復興して、また同じような、浪費と競争の社会を再構築するのではなく

何か変えていかないとと決心するのでした。

特に、避難所や会社では、持っているものの半分はいつも人にあげていました。

まあ、そんなに無理しても長続きはしないのですが、

気持ちだけは、意識的に変えないといけない、

くっきり感は、もっていたかったです。

本当に、何かかにかを変え、助け合う共生社会を作っていきたいですね。


この間、沢山の知人、友人から、暖かいメールをいただき

本当にうれしかったです。

東北に限らず、全国的に品不足のおり、ありがたいです。

でも、私は酒とタバコさえ、確保できれば、不自由は感じないので、

お気持ちだけで、とても、うれしいです。

ありがとうございます。

単身生活6年、皮肉なことに、初めて

小さい冷蔵庫の中に、食べ物を詰め込む事ができました、皮肉ですね(笑)