
拒絶と、見捨ては似てるようで、ちょと違う。
前者は、受け入れない、追い払う等、存在に関わることで、
後者は、他の何か、誰かを選ばれるという、所有や行為のレベル。
で、この傷は、異性の親から、1〜3歳頃できるとか。

これなら、記憶がある、自分のメモリーに最初に記憶されたもの、
それは、病室に入室すると、ベッドの上で母親が、別の誰か(2歳年下の妹)を
抱いてこちらを見て笑っていて、輝いていた、
急に、混乱し、後ろを向いて、室外に走り去ろうとしたのを、父親?
が笑いながら、追いかけてきた、のを覚えている。
これが、見捨ての傷だろうか、その後も、母親が買い物に出かける度に、
泣きながら、何処までも、追いかけていた…重症ですね(笑)
でも、当然、母親は愛情豊かに育ててくれたから、
本当の見捨てではない。傷は軽いのだと思う。
他人の関心、同情を引き、承認、支援を受けると安心する。
つまり、依存の仮面をつけると、ブルボー女史。
小さい頃から、30歳頃まで、病気や怪我が多かったのは、
周りのサポートを得たかったのかもしれない。
面白い記実があった…裏切りの傷を癒そうとして、
地上にやってきた魂は、強くて、確固たる精神を持つ異性の親を選ぶことが
多いそうだ。
幼い頃、長崎で被爆し、親を亡くし、結婚してからも
病弱な父親に代わり、昼夜働き、5人の子供を育て、住宅ローンを完済した。
そんな母親を選んで生まれてきたのですね。
こちらの傷も治し方は、同じ。逆のプロセスで、
今の自分を受け入れ、許し、本当の自分にたどり着く。
ところで、子供達は、何を学ぶために、この親を選んできたのだろうか……
そして、どんな傷を与えてしまったのだろうか。
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