勝手に、ゴールデンウィークとなずけた1週間が始まった。
サプライズ!の連続。
知的な情報どんどん。
しばらく前に書いた、吉田拓郎が昔よく行った喫茶店の話を
飲み屋で、よく合う建設会社の社長に話したら、
あれは、昭和30年代に、わしが建てたんじゃ、と。
建てた人ならではの、設計のこまごました話や、
飲み友達の、別の建設会社の社長さんも、否定しなかったから、本当でしょう。
いまだに残っているのに、びっくりしてました。
そう、ある船にのれば、キャプテンは、なんと、長崎の中学、高校の3年、先輩じゃあなかとですか。
前の日は、大雨が降ったのに、この穏やかな流れ。
流れの7割は、マンション近くの放水路に。
こちらの潮位が下がっても、太田川放水路は、なみなみでした。
で、なんと、明治27年から、10~11カ月、
大本営、天皇が、いわゆる首都が、広島に移っていたんですね。
日清、日露、臨戦大戦の中、軍港呉の近くで、
太田川の水量を使い導水管発電も盛んに。
水量が3分の1に下がり、川漁師は困ったそうだ。
だから、こんな地方都市に、原爆ドームや、日銀、市民病院などの
当時としては、超高層ビルが建てられ、
それが、あだとなって、原爆の標的になったとか。
今回、原爆の時に、爆風から、段原地区を守ったという比治山に行き、
当時の爆風から、守った街並の絵を発見。
オー、なんでこんなところに、東北の新聞社を興した人の御子孫が。
それも、長崎出身とは!
なんと、豊臣秀吉の側近大名として寵愛を受けた桃山時代を代表する武将茶 人の一人
流祖上田宗箇プロデュースの縮景園には、茶畑も。
一番茶は、もう摘んであったが、
これで、茶道するのかな。
五穀豊穣を願う田植え祭りもあり、いいですね。
オー、こんな御立派な、ホテルのパーティールームに
政財界の紳士淑女が集まる中、
ジャージを着たオジサンが、
人捜しに、おじゃまします~って(笑)
でも、おおむね、地酒、瀬戸内海の新鮮な肴で、
グルメなこの休日でした。
ずいぶん、はしょりましたが、
幸せな時間過ごせています。
まとめると、
勇気から、真実が生まれる、この時期です。
今夜は、意味不明で、ごめんなさい。
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