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産業革命から半世紀ぐらいまえまでは、チャップリンのモダンタイムズなど、

資本主義下の「人間疎外」 が、世間のテーマだった。

今は、Dr.倫太郎やアイムホームのドラマのように、

魂的な「本来の自分とは」 をテーマにした番組が増えてきた気がします。

自分を見失う原因となる心の傷や、傷付く事をおそれ、

仮面を自分の本当の心の声と捉えていていいのか、

というテーマに人が敏感になりだしたのでしょうか。

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ブルボー女史の分類の5つの傷、複数持つ人も多いとか。

私の場合は、先ず、拒絶による傷→逃避する人の仮面、でしょうか。

同性の親などから、拒絶されたと思い込み、価値のない人間だと…

(傷は、妊娠中から、生後1年にかけて形成されるので、今は、まだ思い出せないのですが)

そこにいない方が良いと…、孤独を好み、幼稚園から抜け出し、

小学校は不登校で、自分は、まるでそこにいないような感覚で同窓生の間で過ごしていた。




本来の素の自分が存在したが、

拒絶に合い、傷ができ、

自分自身でいられなくなり、苦しむ。

痛みから逃れる為に、親に逆らいはじめる。

そして、諦めがきて、仮面をつけだす。

自分をつまらない人間だとおもい、自分を非難し、

エゴはそこから逃げ出す言い訳を巧妙に作り出す。

自分を拒絶する人や状況から逃避したくなる。



また、エゴは、自分や相手の世話をしっかり焼くことで、

いい人と思ってもらい、

拒絶を経験しなくて済むと思い込ませる。



随分、知らず知らずのうちに、

人並み以上に、「いい人」であったり、

理屈で考えた「いい事」をしてきたのだと

思えないこともない。

昨日書いた提案にしても

否認されると、それ以上喰い下がった事はない。


本来の自分に戻るには、この過程を逆をたどるしかない。

まずは、自分自身を、そのまま受け入れることによって許しのプロセスが始まる。

自分を肯定し、誰かに存在を無視されても、

傷付く事はなくなると…




こんなブルボー女史の論理の展開に、妙に納得してしまいます。


逃避癖は、この歳になっても、全く治っていないですからね(笑)





本当の自分になるために、

自分に、深い愛情を持って、まずは、そんな自分を許し、

いい人でない自分も好きになって

いかないといけませんね。


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